『青梅なひと』 特別対談
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人々の暮らしを見守り、癒してきた御岳山
秩父多摩甲斐国立公園の表玄関にそびえる標高929メートルの御岳山。
古くから霊山と崇められ、頂上には2000年以上前の創建と伝えられる武蔵御嶽神社が鎮座しています。
江戸時代中期から武蔵御嶽神社は厄除けや豊作の神として信仰を集め、多くの参拝客で賑わいました。御岳山を信仰する人々は「講(こう)」という組織をつくり、毎年春になると講の代表者が御岳山に参拝に訪れるのが習わしでした。その参拝者の食事や宿泊などのお世話をしたのが「御師(おし)」という神職の方々。御師が営む「宿坊(しゅくぼう)」は今も21軒あり、お詣りの人々を温かく受け入れています。
いにしえから現代まで、人々の暮らしを見守り、癒してきた御岳山。その不思議な力はどこからくるのか。
今回の対談では、御岳山の魅力に惹かれてたびたび訪れているという望月友美子さんから、靱矢会長にお話を聞いていただきました。
私と御岳山とのお付き合いのはじまり
望月 私は青梅に移住して2年になるのですが、青梅で迎える最初のお正月に御岳山に登ったのが最初です。青梅の人ならきっと初詣は武蔵御嶽神社だろう、という期待だけで何も予備知識はなく、都心に住む娘を誘ったのです。まだ人の少ない元旦の駆け足参拝でしたが、下りのケーブルカーで何ともいえない心身ともに清らかな感覚に包まれました。そんな体験は今までになく、“この清浄さはなんなんだろう?まるでデトックスのような感覚だと思いました。その謎を確かめるためには、文献を調べながら自分の足で通って自分の心と体で対話しながら探ろうと。それが御岳山とのお付き合いの始まりでした。
標高千メートル近い山の上に神社があり、宿坊があり、その営みを何百年もつないでいらっしゃる。私にとっては神秘ですし、知れば知るほど奥深い。「講」の歴史を調べてみたり、参道の階段に彫られた天邪鬼を踏んで邪気を払ってもらいながら、通うにつれて、もっといろいろな人を誘って来たいという思いが強くなっています。
靭矢 無意識のうちに体が清浄化されるということは、それだけ自然の持つ力が強いということでしょう。現代の人々は日々の忙しさにからめとられている。私も里でサラリーマンをやっていたのでよくわかります。いろいろな悩み事もあったけど、週末に御岳山に帰ってくると気持ちのリフレッシュができましたよ。
望月 たしかに、麓からケーブルカーで上がってくるとき、窓から見える景色が徐々に変って、下から上へ、特別な場所にいくような感覚がありますね。私は下界を見下ろせる最後尾が好きです。
靭矢 山の上から下界を見ると、ごみごみとしていて、人間はちっぽけな存在だなと思う。そうやって気晴らしをしているうちに、悩み事が離れていく。壁が知らないうちにどいてくれる。そんなところで悩んでみてもしょうがないという意識をもって見方を変えてみると、自分の気づかなかったところを気づくことができます。
望月 ドローンで撮影した御岳山をYoutube動画(https://youtu.be/2-3YUlvXzgA)をみたとき、衝撃を受けました。天空に浮かんでいるような突出した存在感で、「天空の城ラピュタ」のようでした。先人は特別な場所としてここを選んだのですね。
靭矢 ここは修験道の聖地でしたので、とても険しく厳しい場所です。御岳山には未だに麓に通じる自動車道がない。でも今になればそれも魅力なのかもしれませんね。生活するには不便だが、その不便を生かしていくのも現代に生きる我々の使命かな。
ケーブルカーが無い時代も人は登ってきた。麓の鳥居のあたりには強力(ごうりき)で生計を立てている人がいました。山に登る人の荷物を運んで案内をする仕事です。自転車を預ける場所もあった。昔は、4月と5月は御岳詣の人々が幟をたてて青梅街道のあたりから行列していた。それを見てこのあたりの人は春を感じたそうです。一般の人や登山者はほとんど来なかったですよ。宿坊の神職たちも、4月と5月の2か月間だけ講の人の世話をして、あとは山仕事や茅葺の屋根普請をしてました。講の人たちが来るだけだったので、各宿坊も今のような屋号はなく、御師のだれだれのところへ行く、という感じです。やがて終戦後の法整備で宿坊は旅館・民宿という分類になり、今のような宿名や屋号を定めたわけです。
※「講」とは:村や一族などの地域社会を母体にした仏事や神事を行う集まりのこと。五穀豊穣や自分の村が安泰に恵まれることを願って人々は講をつくり神社仏閣に詣でた。
時代に合わせて変化していく「講」のかたち
靭矢 御岳講は、代表参拝と言って毎年同じ人が来るのではなく、皆がお金を出し合って講の代表者に託す形で行われていました。十年がひと回りで満講となり、太太神楽(だいだいかぐら)を奉納して御礼詣りなる。だから太太神楽の奉納は一番最上位の参拝方法なんです。
昔の旅というのは手形がないと行き来ができない。でも神社やお寺への詣となると、道中手形が発行してもらえた。いまの観光のはじまりですね。講が盛んだった江戸時代は全国に講がありましたが、今でも残っているところはわずかでしょう。御岳山は、秋になると御師がお札を持って講中をまわっているので続いているんだと思います。
実は、令和の時代の新しい講として、昨年、武蔵御嶽神社に「奉賛会」という制度を新しく立ち上げました。入ってくれるのは近隣の人だけかと思ったら、遠くに住んでいる方もいます。御岳山の良さを理解してくれているんですね。
望月 私も早速「奉賛会」の会員になりましたよ。境内のお掃除でもどんな形ででも、なにか神社と関わりを持ちたいと思ったんです。
ここは、エネルギーが目覚めていく場所のように思います。五感を解放して本来の感覚を取り戻すだけでなく、第六感、第七感、第八感まで感じるような。
御岳山のある青梅は山も川も緑もあって自然がほんとうに豊かです。こういう場所なら有事でも何とか生き延びられる・食べていけるのではないかと、いわば「防災移住」の目的も込めて引っ越してきました。食料安全保障のためにも次世代の命のためにも、この大自然を保全し農地も保存してほしいと思います。
靭矢 いまの時代は、日本の古来の生活スタイルを壊してしまいました。昔は一軒の家に戸主がいて、大家族でした。農家は、田を分けちゃうと農家としてやっていけなくなる。だから田を分けることは〝田分け(たわけ)もの〝と言った。新しい若い人が入ってくる新興住宅地は、20年、30年後には高齢化した町になる。ニュータウンがオールドタウンになる。それが日本全国で起こっている。“たわけ”をずっとやっている。食料も輸入にばかり頼らないで、田んぼや畑はある程度の面積を残しておかないと、自給自足ができなくなる。
神社はお願い事をするところではなく、御礼をするところ
靭矢 日本人は、神頼みとよく言いますよね。なにげなく手を合わせて念をこめる。それはどこにお願いしているんでしょう?それが神なんですよ。そこが神様に通じるひとつ。神社に行かなくても、天を仰いでもいい。庭先の石でもいい。神様は常に空気中にいて、みんなを見ている存在。道筋や極め方が違うとしても、求めるものは本来同じはずです。
「神社は何するところですか?」と聞くと、「願い事を叶えてくれるところ」という答えが返ってくる。違うんです。神社は御礼をするところなんです。今の自分の立ち位置を確かめて、「今日までやってこられたのは神様が守ってくれたおかげ」という感謝をするところなんです。
望月 なるほど、「おかげさまで」という言葉の意味はそこなんですね。腑におちました。コロナや戦争などで不確実ないまの時代、明日はどうなるかわからないけど、「いまここ」に命があってエネルギーがあれば、先々のことを不安に思うこともなくなります。私は医者として健康を守ることを仕事としてやってきました。医学と宗教は全く違うように見えますが、命をつないでいくという点では同じですね。
靭矢 大きな力で守られているという意識を持つことが安堵につながります。でも、神様だけに頼っていてもだめ。一所懸命やっている人に神様は光を当ててくれる。
医学も同じじゃないですか?医師が病気を治して安堵を与えてくれるけど、健康管理は自分自身でやっていくことが大事。医学が完全なわけではい。
自分も努力をしていないと成り立たないでしょう。人間の体というのは、頭から気が入って循環していると思ってます。血液と同じ。意識して良い気だけを取り入れようとすることが大事。周りには良い気も悪い気もいっぱいある。落ち込んだ人は、悪い方へ悪い方へいってしまう。そこから抜け出すには、気を晴らす、と言うでしょう。気が一番大事な要素なんです。
望月 さきほどこちらの宿に着いてお部屋でくつろいでいたら、窓の外にゆっくりと霧がドレープカーテンのように流れていました。それを見ているだけで癒され、窓を開けて招き入れてくなりました。温泉地にしばらく滞在して体を休める湯治(とうじ)という言葉がありますけど、ここは別に温泉宿ではない。何か湯治に代わるいい言葉はないですか?
繰り返しいきたくなる御岳山の魅力
望月 「観光」というキーワードは以前から心の中にありまして、出張などで国内外各地に出かけることはあっても、いわゆる観光ツアーには参加したことがありません。むしろその地に住まう人の視線で地域を感じる方が好きですね。
そこで「観光は地域の総体」であるという表現に出会い、合点がいきました。語呂合わせではありませんが、「健康・環境・観光」と3つを並べたときに、「健康は人生の総体」、そして「環境は自然の総体」と見ることができると思います。全てつながっていて、人間はその中にいる。こうした考え方は人に押しつけるものではなくて、それぞれの人に考えてもらいたいと思います。ここにいらした方々は、どんな目的で来て、帰っていくのか?その一人ひとりのストーリーを聞いてみたいです。
靭矢 まさにそこなんです。御岳山に何度も何度も来てくれている人に、どんなストーリーがあるのか。
これまでの観光というと、そこへ行けば楽しめる場所があるけど、繰り返し行くところではないというイメージですよね。ここには娯楽施設など無いですが、今あるもので御岳山の魅力を魅力と感じてくれる人が何度も来てくれればいいと思ってます。「今回は寝に来ました」というお客さんもいます。
望月 意外だったのは、地元青梅の人でも宿坊に泊まったことがない方が結構いらっしゃいます。13万人いる青梅市民のうち一割でも来てもらいたいですね。まず知ってもらって、次は友人知人を連れてきてもらってはどうでしょう。移住者には、まず「ようこそ御岳山へ」と宿坊に泊まれるクーポンを差し上げるとかすれば、青梅の捉え方も変わりますし、市民が発信者になれるのではないかと思います。
靭矢 良いアイデアです!地元の人は、「御岳山?知っているよ、神社があるところでしょ。ほかになにもないよね。遠足でいったよ」という感覚です。それ以上深いものは求めない。気づいていない。やはりお膝元もとの青梅の人たちに再発見してもらわないと。その人たちに人を連れてきてもらう。
大人になってから御岳山の良さがわかることもあるんです。書道や句会、算盤など習い事のグループが来て、没頭できたと言って喜んで帰られてますよ。静かということも魅力なんでしょうね。
望月 たしかに、この環境は歌会とか句会にいいですね。Wi-Fiも完備しているから仕事も、と思ってきても、この環境だとパソコン仕事をするのはもったいない。アナログな本を読むのには適しているかもしれません。
靭矢 日本人は遊び方を知らないといわれます。外国人は、スキーに行ってもお茶してくつろいで、5日間ぐらいいる。日本人は、元を取ろうとしてずっとゲレンデで滑ってる。もともと余暇の時間が短いのが問題だと思いますけど、のんびり過ごすということができない。
望月 仕事でスイスに住んでいたことがあるんですが、オフィスではスタッフは朝早く来て4時とか5時に帰ってしまうんです。家族と食事をするのが当たり前、また家で着替えてから演劇などを観にいく。スキーに行っても、午前中2時間滑って、あとはランチしながらワインを飲んで、午後ちょっと滑って帰る。私が青梅を選んで越してきたのは、スイスみたいな暮らしができると思ったからなんです。
また仕事で産業医もしているのですが、心の不調でお休みしていた方が復職して別の部署で元気になる、というケースも時々あります。病む、というのは一体どういうことなのか? そうすると「健康」というのは相対的なもので、もともとあった力は取り戻せるし、あるいは補えるもの。誰でも潜在的に生きる力は持っているので自分を取り戻して生き生きできる場があれば幸せなことだと思います。より健康になれるような旅を指すウェルネス・ツーリズムという言葉もあります。
古くから農業との関わりが深い御岳山の信仰
望月 ところで、宿坊に泊まると、地元のお野菜たっぷりのお食事がとても楽しみです。御師さんが野菜も作られていると伺いましたが、畑のお手伝いができる体験プログラムのようなものはあるんでしょうか。
靭矢 御岳山では宿坊しか畑を持っていないので、すべて神職の畑です。ご先祖さんから受けついだものなので、草ぼうぼうにしないようにと思って頑張ってますが、ほかに出荷できるほどの規模ではない。でも自家消費だけだと多すぎる。それが観光に結び付けられたらいいですよね。
寒暖の差は作物には良いので、御岳山の野菜はおいしいですよ。同じ人に年に何回か来てもらって、宿泊代と農業指導のお金がもらえればやっていける。
望月 畑のお世話までやっていただけるのはうれしい。農業は一巡では終わらないので、リピーターが期待できますね。
靭矢 ほんとに旬のものを今の子どもたちは知りません。スーパーに毎日野菜があることが不思議という感覚を持ってもらいたい。農作の神様である作神(さくがみ)様は御岳山の信仰のひとつで、神社と農業の関連性も深い。本殿には占いの神様である櫛麻智命(くしまちのみこと)が祀られていて、毎年1月3日にその年の作物のでき具合を占う太占祭(ふとまにさい)をおこなってます。これはよく当たると評判ですよ。
大きな共同体としての力をもつ御岳山の集落
靭矢 畑仕事だけでなく、ここでは雪はきや土砂の復旧などは全部自分たちだけでやります。大きな共同の力だな。何かの事業をやろうとするとお金がかかる。出せるところと出せないところもあるが、目先の損得を考えるとまとまりは悪くなります。ありがたいことに御岳山はまだ昔ながらの地域の力が残っている。
望月 皆さんは、まだ“たわけもの”にはなっていないですね。私たちも、ここへ通って何かお手伝いをしながら、共同体の端っこにいるサポーターとしてつながっていく。それが安堵になっていくのかもしれません。それを求めてここへ来る人たちは沢山いると思いますよ。
靭矢 御岳山の魅力は、泊まった宿坊のスタッフがよかった、ではなくて、御岳山へ行けばどこへ行ってもよかったよ、と思ってもらうことが大事。宿坊の皆んなが一軒だけでは成り立たないことを山中の皆でやっていこうという意識でいれば、お客さんが増えていく要素になると思います。
都会から来た人が、人と人のつながりから生まれる安堵を御岳山へきて感じてもらえればいい。
望月 顔の見える関係ですね。御岳山を下から眺めて「あそこに行けばみんなに会える」と思うことで、私たちも力をもらえる気がします。私も体を鍛えて、ケーブルカーの駅までの坂道をスタスタ行けるように頑張ります。今日はどうもありがとうございました。
[対談日] 2022年3月30日
[対談場所] 宿坊「うつぼや荘」東京都青梅市御岳山50
[取材・執筆] 加勢川佐記子(一般社団法人青梅市観光協会)