青梅宿エリア
カフェ・スイーツ・喫茶
ダイニング&ギャラリー 繭蔵
- 営業時間
- 11:00 - 16:30
- 定休日
- 原則火曜日(公式ホームページをご確認ください)
- 住所
- 東京都青梅市西分町3-127
- 電話番号
- 0428-21-7291
Profile
繭蔵のオーナーで代表取締役の庭崎さんとフードコーディネーター、取締役店長の兒嶋さん。西多摩の豊かな自然に惹かれ、様々な出会いを経て青梅に移住して20年近く。庭崎さんはデザイナーで、デザインやライティング、様々な仕事を手掛ける。繭蔵でもお店のインテリアや外装、料理のプレゼンテーションなど、多岐に関わる。兒嶋さんは、創意工夫して毎月季節ごとに変わるメニューを担当。声楽や音楽に関わっていた縁からも、コンサートには様々な奏者が集まる。
自然と暮らし、建物、人との出会いから紡がれた出会いの場、繭蔵。
青梅織物工業協同組合で夜具地の倉庫として使われていた石蔵を平成12年に全面改修。現在は国の登録有形文化財にも登録され、一階は”普段のごちそう”がコンセプトのグランドピアノのあるレストラン、二階はギャラリースペースに。もう来年で20周年になるというDinning & Gallery 繭蔵のオーナーと店長さんを訪ねました。
建物に一目惚れをした、という庭崎さんに建物との出会いについて教えてください。
「以前にWater-pathというタウン誌を作っていて、その時にたまたま車で通りかかって、これは何かに使えるのではないかという感覚があったんです。
その時は建物やリノベーションにとても興味があって、デザインスタジオと撮影スタジオにする予定だったんですが、それにしては広すぎて、いろいろなプレゼンテーションをして変わっていったんです。Water-pathを通じて色々な人に出会い、その中でも新しい取り組みが色々と生まれてきたものですから。」
多摩川の本支流の上流部に連なるフォレストゾーンを「水の径・風の径・緑の回廊」と位置づけ、刻々と変化する表情、自然の営みの精繊さや、人々の様々な試みを見つめる総合季刊誌。
「この建物に出会って、ぜひここを使わせてくださいと持ち主である青梅織物工業協同組合さんにお願いに行ったんです。いきなり来られても困ったでしょうし、彼らの財産を、よそ者に使って欲しくないということもあったと思うんですけれどもね。
先々代の理事長さん、田中富太郎さんという方がとても理解を示して頂いて。様々なプレゼンテーションをしてここを開けてもらえるまで、3年かかりました。ここも含めて、敷地内に点在している建物群をリノベーションして有効活用していくような方法を提案して、それに田中理事長は共鳴して頂いたんですよね。いまはお亡くなりになっているんですけど、彼が決断をしてこの建物が残ったことで、今のこの状態があるのです。
国の登録有形文化財にも一昨年登録されましたが、あの時の理事長の決断がなければ、ひょっとしたら、駐車場か、あるいは大規模な商業施設、スーパーマーケットのようなものを誘致しようという話もあったので、どうなっていたかわからないですよね。
青梅の人々が一生懸命これを作り、守り、育ててきたわけですから、それを受け継ぐという、僕たちにできることはただそれだけなのですが、それを少し面白く形にできれば、ということだと思っています。」
兒嶋さん:「まずはここを最初に改修してオープンした時に、田中会長さんに言われたのは、『絶対成功させてくれないと、あとが続いていかないから。』って。理事さんたちも最初はね、どこの誰かわからないような私達が来て様子をみてらして。でも最終的には、もう本当に協力してくださって。今は、『繭蔵さんがないとね』って言ってくれて、すごく嬉しかった。」
庭崎さん:「ここから夜具地を出荷していたので、前には大きなスレートの屋根があって、コンクリートで固めてあった状態から変えていったんです。いざ許可が降りて開けてもらって、中をどうするかという時に、建築設計デザイナーの西野和宏さんという方と本当に偶然出会って。それで、この繭蔵のリノベーションの話をしたら、彼もなんだか乗り気になって一緒にやりましょうって話になって、何回もお互いに戦わせながら、こういう風にしましょうっていうのを組み上げていって。」
「戦かわせながら」と話す庭崎さんの横で、「凄かったんですよ。」と笑いながら話す兒嶋さん。お互いにこだわりを持ちながら、良い物を作ってきたその様子が見えるようです。
庭崎さん:「だから、こういう鍛金の鉄の作家さん、木の作家さんが、階段の柵も、椅子も、テーブルもそこの工房が作ってくれたんです。陶器と、ガラスと、木工と色々作ってくれました。お金はいっぱいかかりましたけれども。
あとは最初から関わってくれたスタッフたちがいて、延べ50名ぐらいのスタッフたちが20年の間に、アルバイトとか、パートさん含めて来てくれました。すごいことですね。前は明星大学があって、その学生さんが夜の営業を7年ぐらいしていた時にアルバイトしてくれていました。」
店内にもたくさんのアートがありますが、それはもともと構想にあったのですか?
庭崎さん:「いや、それはたまたまです。もう初めは自分でデザインして、なんとかしようと思ってたんですけど、建築のデザインや、特に店舗デザインはしたことがないから、いろんな建物を見に行ったんです。リノベーションにはいろいろ制約があるのですが、それを可能にするために西野さんの存在が大きかったですね。」
「まぁ、喧嘩しながらですけど。」と笑いながら話す庭崎さん。
蔵の中を見る許可を取るまで3年もかかったと話すお二人ですが、それはなかなかの熱量がないとできないこと。その3年を支える熱量は何だったのでしょうか。
庭崎さん:「そうです。あの田中会長の決断がなければ、このような形にはならなかったと思いますよ。僕が一人で騒いでいても何も変わらないし、ずっと開けてもらえないままで終わってたかもしれない。もうどこか他のところに行ってたかもしれない。」
兒嶋さん:「その時に会長さんがWater-pathを見て、『こういう感性でやるなら頼みたい』と言ってくださったんですよ。だから、このWater-pathは、スタートだったのかな、って思ってます。ある意味ね。」
庭崎さん:「そうですね。これはね、(Water-path)は、やっぱり西多摩の宝探しなんですよ。人とか、そしてこういう産業遺産とか、自然とか、文化とかそういうものを作っていったんですけれども。」
兒嶋さん:「この辺りをフォレストゾーンって言ってたんです。それは、何年か前に多摩ライフっていう大きなイベントがあって、その時にそのフォレストゾーン研究会っていうのがあって、そこから都市に向けて発信していくっていうものだったの。
次の内容もあったんですけど、この繭蔵が始まってしまって。3号は全国900近い応募の中から第14回NTT全国タウン誌フェスティバルタウン誌大賞を頂いたんです。」
庭崎さん:「僕にとっては西多摩の一番の宝は、自然です。でも自然だけじゃなくて、そこに人がどんな風にいるのか、どんな暮らしをしているのか、そしてそこから生まれるものに興味があったんです。この地域にはそんな人の営みと文化が綿々と繋がっているわけですよね。それをWater-pathでは一番出したかったんです。でも、この蔵に出会っちゃったものだから、今度はここのリノベーションが使命みたいになってしまったんです。Water-pathを始めた時に青梅に拠点を移したので、そこでまた青梅のいろいろなものや人に出会っていきました。」
ここの建物との出会いもそうですが、それを支えるかたの決断や、支えてきた人々の営みの積み重ねが青梅にはある、そしてその人々の歴史も青梅の財産なんですね。
庭崎さん:「本当にそうなんです。僕がこの建物に出会うまでに、ここにあったわけだから、これを残しておいたくれた人達がいて、ということなんですよね。そしてそれを何かの形で受け継げればと思ってます。
本当に、出会いですよね。でも、そういう意味では楽しいですよ、いろいろな人に出会えて。こうやって待ってていろんな人にいらして頂けるんですから。ギャラリーにしても、作家さんにしても。ライブイベントをするにしても、いろんな人がこの空間を楽しんでくれて。
世界各国、日本も各地を旅してきた庭崎さんは、各地でダイビングも山登りなどすごくアクティブな方ですが、どうして青梅という地域だったのでしょうか。色々旅をして見た中でも、青梅に何か特別に惹かれるものがあったのでしょうか。
庭崎さん:「いや、それはもう出会いですね。何もかもが、出会いだと思う。そのさっきの会長の田中さんもそうだし、ここで出会ったスタッフもそうですけど。結局その人たちが作ってるんですから。
なんでしょうね、いろんな所を旅している時に地方の濃い土着感とか生活には厳しい自然環境とか、そこで暮らす人たちの根源的なたくましさにものすごく心を振るわす体験をするのですが、自分もそこで生きていけるかというと僕にはとてもできないだろうと思うんですよね。一方で、いつまでたっても通過するだけの旅人でいいのかっていう思いがありました。
若い時はそれも楽しくて、できるだけいっぱいいろんなところに行きたいと、見たいと思ってたけれども、いつまでもそうやって通過して行くだけなんですよね。通過して行く中で色々な人に会ったりとか本当に素敵なものを見るんですけれど、それはもう、記録ですよね。じゃあどこかで、自分が営みをしながら何かをできることはないかな、という思いはちょうど西多摩と関わり始めた時からありました。」
庭崎さん:「僕にできるなにか仕掛けみたいなものを小出しにしていって、人が本当に少しづつ集まって来てくれれば、という感じでしたね。この蔵が持ってる力で、リニューアルしたということが雑誌や新聞の記事、テレビの取材になるわけじゃないですか。そうすると、何もしなくても結構伝播力できてきて。蔵がすでに持っている力があるので、それにどんなエッセンスを加えていくかっていうだけです。お料理もその一つですね。」
一階では「普段のごちそう」をコンセプトにしたレストランを、そして二階は、貸しギャラリーで様々な作家の作品が展示販売され、夏にはハンモックが並び、ハンモックカフェにも。
一階にはグラウンドピアノがあり、繭蔵の場所と音響に惹かれて「ここでやりたい」と各地から人が集まり、開催したライブは1000回以上。ジャンルも多様で、クラシック音楽から、タップダンス、毎回行列ができる参加型の歌声喫茶も開催されている。
「やりたいって人がいたらどうぞって、それはその人が作る空間になるわけですから。そしたらいろいろなこともあるでしょうけど、ばちばちと色々なところでぶつかり合いながらも、いいものが何か生まれるじゃないですか。僕たちの役割は、ここの場を解放するということでもあるわけですから。」と話す庭崎さん。
「どうぞ使ってくださいっていう解放をしていったほうが、いろんなものが飛び交って、だんだんそれがそれが原子みたいに、一つのものになって行く、そのほうが面白いです。反発しあうのものあるだろうし。くっつくのもあるだろうし。
反発するというのも、一つの大事なダイナミズムですよね。どうせ、あそこでやるのはこうでしょう、って言われるよりも、いいですよ。反発するから、新しいものが生まれるんですよ。」
兒嶋さん:「繭蔵をしていく中で『あ、化学反応の触媒になればいいんだ』、と思ったんです。色々な人との出会い、モノとの出会いの触媒になったら、面白い化学反応が起きて面白いことが生まれるんじゃないかって。それはすごく思いますね。
自分を出すとかじゃなくて、何かを繋いでいけるものになれたらって。ここで何かと誰かが繋がって、出会って面白いものが生まれるとか。繭蔵自体がそういう場所ですよね。」
この、「場を解放する」という意識だったからこそ、今も様々なイベントがあり、多くの人が集う場所になっている繭蔵という「場」なのです。
毎月変わるメニューを考えるのが楽しい、という兒嶋さんに、繭蔵でのやりがいと、青梅での好きなところについて聞きました。
「お料理を色々と考えられるっていうのは、楽しいですね。ケーキはね、よく作ってましたけど、この年になって目覚めましたね。あとは、ここは人との出会いね。それが一番。
子育てをしていた時に、いろんな海外からのお客様や若い子たちが家に来ることが多くておもてなしのお料理を作ってたんです。作ることは好きだったんです。あと今は亡き夫がハンガリーに駐在していたことがあって、日本のものがないときに、どうやって工夫して自分のイメージしたものを作るかという訓練はしてましたね。
ヨーロッパにいた時に、お茶会をすることになって、和菓子を出さないといけなくなって、それでさぁどうしよう、と。豆があって、お芋もある。それで豆を茹でて、裏ごしして作ったんですよね。そういうのは、すごく面白かったのよね。」
「あと繭蔵には本当にいろいろな方が来てくださるから、それは本当に嬉しい。だから、全部面白いんですよ。」と笑ってお話する兒嶋さん。
「個人的に好きな青梅はね、鳥瞰図で見た、多摩川。それをイメージできるところ。山や森みたいなのがあって、川があって、空から見えるような景色が見えるところが好き。奥多摩の山とか、夜明け前に頂上に登るんですよ。そこから見ると、関東平野から東京湾まで一望できるんです。そしてそこからみる夜明けがすごく綺麗で。昔は、初日の出を見るために、登ってましたね。そういう、自然の雄大さがいいです。
あと、街と人ですね、好きなのは。
私は青梅人じゃないけど、人懐っこいっていうか。生まれは関西で、いろんなところを転々としたけど、やっぱり「人が住むのはこういうとこでしょ」っていう地域なんですよ、青梅は。やっぱり人は、青梅の魅力ですよね。」
繭蔵も、来年で20年でも、その始まりは出会いにあったということを聞くと、なんだかこれから自分達のものを作っていきたいという人にとっても希望があるように感じました。
「やっぱり、続けることですよ。でも、いつの間にか続いてるものなのよ。私は、面白いからやってるの。オーナーはデザイナーで、料理のCMも担当もしてたし、言葉ですごいものが出てきちゃうから、負けられないんです。これを越えなきゃいけないんですよ。じゃあもっとこれを越えて美味しいものを作れるか、っていうのはありますけどね。
それは張り合いがありますね。私たちは、肩肘張ってる訳でも、自分たち以上のものを見せてる訳でもないんだけれども、せめて、中身はきちんとした身のあるものものを作りたいのよ。」
「やっぱり楽しいの。」と笑う兒嶋さんの笑顔から、ここにある人との出会いの素晴らしさを垣間見るような午後でした。自分たちも楽しみながら、場所を解放して繭蔵という場を作ってきた人は、出会いによって導かれ、さらに新たな出会いを作っていく人。
歴史があるということは、それを守り、伝え、繋ぐ人達の存在があるということ。繭蔵も来年で20周年。人の歴史を感じる繭蔵に、そして青梅織物工業協同組合(織区123)に出かけ、人に出会い、歴史と人の営みを感じてみてください。
重厚な大谷石造りの蔵(旧織物発券倉庫)を平成12年全面改修し「食と手仕事の出会い空間」をめざす、Dining & Gallery繭蔵としてオープン。1階のダイニングのコンセプトは「ふだんのごちそう」。こころとカラダにやさしい料理です。こだわりは季節の野菜を中心に素材の持ち味を活かしながら、一手間を惜しまず調理すること、そしてできる限り作り手の顔が見える安心食材であること。2階の30坪のギャラリーではさまざまなジャンルの作家がほぼ2週間の会期で作品を展示、また音楽ライブやワークショップも多彩に展開しています。
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